白紙

釜山編



2013年04月22日(月曜日)
一睡もしなく、朝6時半には
広島駅に来ていたそうです。
私も5時に起きて
7時前に駅に着きました。

はじめの予定では広島港
から船に乗って釜山に行く予定
だったのですが、そんな船は
5,6年前になくなっており、
わが友は古いその汽船会社の
ホームページを見て、予定を
組み立てていました。

私は確認のために旅の予定の
一週間前にその会社のホームページに
出ている電話に電話をしたのですが、
何とそれは不動産屋の電話でした。急遽
友に連絡して、博多からビートルに乗って行く
スケジュールに変えました。
わが友は汽船会社やホテルと連絡をとり、
おまけに私だけは65歳以上なので船代が
割引になることまで調べ、スケジュールを
調整してくれました。
その日、そのまま広島港に行っていれば、
たぶんホテル代はパーになっていたでしょう。

のぞみが入って来る。

自由席で座れる。
新幹線代8000円ちょっと。
往復で16000円かかる。
一番カネがかかるのは交通費だ。
バス停を間違った。
このビルの前から港への
バスが出る。
港まで220円。
はじめ、こちらのビル
へ行って、ウロウロする。

いい天気だ。 博多港に着く。 ビートルのカウンターに行く。
65歳以上は往復券が
割引になる。
ほかに国際ターミナル利用代
500円もとられる。
往復代16000円。

水中翼船が見える。 関係ない人が
写ってしまった。
韓国は寒いだろうと
思って、首巻を巻いている。

2階の窓際に座る。 船は珍しいので
写す。
船に乗れてホッとする。

何のタワーなのか? 日本が遠ざかる。 対馬が見える。

韓国に近づいた。 島の名前もあるだろうに、
私にはわからない。
釜山の町並みが見えてくる。

恐ろしく高い橋だ。 釜山の中心部に向かっていく。 船は見て飽きない。

女性税関の写真を
撮ろうとしたら、だめと言われた。
釜山港で両替する。
町の中の銀行と比較して
5120ウォン損した。
哲学と書いてあるが、
たぶん占い師だ。

釜山タワーが見える。
徹夜がきいたのか、
友はへたる。階段で
休む。
ここに登ったが、へたった
友は階段に
旅行案内の本を忘れる。また
階段を降り、登ってこないと
いけない。来た早々
どうなることやら。
李舜臣将軍も笑っているだろう。

またここで休む。 やることがないので
振り返って見たりした。
気を取り直して
降りていくとおっさんたちが
朝鮮将棋をしている。
平和公園と同じく
横でチャチを入れる人
がいる。後ろで突っ立っている
おっさんは若そうなのに仕事が
ないのであろうか?

タワーのある山から
降りると、揚げパン屋があった。
友があらかじめ決めていた
「クンチプ」と言う店で
昼飯を食う。
一人10000ウォン。
「クンチプ」の従業員さん。

女の子と撮りたかったが、
遠慮した。
たくさん皿が出た。 最後におかゆまでも。

国際市場に入る。 南京豆もある。 二重焼きの屋台。
ハングル表で見ると、
「チョイコクプ」とでも
発音するのか?
(ハングル表を見て書いているので
正しいのか自信がない)

イチゴもあり、ジュースも
売っていた。
この屋台では結構
人だかりができている。
平日にしては人が多い。
のではないかと、思う。

豆腐は好きなので、
どうしても撮りたくなる。
大学を卒業してもいい就職先が
ないので仕方なく親の仕事を
ひき続いてやっているのか?
食料品店で若い男は珍しい。
野菜も新鮮だ。 魚はちょっとひやけている。

見たこともない貝もある。 定番のキムチ。でも
文字はキムチと書いていない。
「ファムフシクフェ」
やはり市場はおばちゃんたちが
似合う。
練り物。ソウルで
これなに!というオデンを
食ったので、それ以降
韓国のオデンは
食わない。

豆いり餅。 そうそう、この蛇腹に
串に刺したもの。
ソウルで私はそっと吐き出した。
これはまがいもなく
キムチだろう。

この辺ではどこを
歩いているのか
わからない。
ますます人が多くなる。 ぜんざいの屋台。
食べたがったが、まわりが
全部女性で注文しづらい。
きな粉もある。

何を売っているのか? 午後4時過ぎになったので、
東横ホテルに向かう。
ロッテ百貨店が見えてくる。
変わったデザインだ。
それにしても釜山の運転手は
ストレスが溜まっているようだ。
少しでも渋滞すると攻撃的な
クラクションを鳴らす。
バスもタクシーも目一杯スピードを
あげている。

東横ホテルに向かう途中での
表札屋。
やっぱり表札は漢字で
書かないと。ハングル文字では
重みがない。
釜山中央警察署。
自分がそう思っているだけで
中央かどうかは
わからない。
「プチャンチュウプキョチャルソ」
とあるからチュウプは中央の
ことだろう。
東横ホテルに着く。

夕方5時に入る。
408号室。
カードをかがすだけでドアが
開き、部屋に入って
所定の場所に
カードを入れると
部屋の電気がつく。
もちろん出る時は
勝手にドアの鍵が
掛かってしまう。
部屋代は2日間で7000円ちょっと。
風呂に入り、
少し休んで夕食に
町に出る。
予定していたところの店は
ガイドブックを友が忘れ、
チャガルチ駅ちかくと
いうだけで名前も忘れ、
あちらこちら右往左往する。
海鮮料理の予定が焼肉の
店になる。
友には忘れ癖があるということが
わかる。

また例のごとく
小皿がたくさん出る。
海苔はサービスよ言われた。
ご飯に巻いて食べる。
日本語のできる
店員さんと。領収書に
個人印ようなものが
押してあった。名前だろう。
パン・ヨスンさんかも。
私も。
料金は50000ウォン。

店の概観。
「ナンムポチャ」と
読むのであろうか?
南浦屋の屋がチャに
なるのかな?
帰りは地下鉄の地下街を
通って。韓国も
生きるのは厳しいらしい。
自前の絨毯だから
ダンボールよりは階級が
上なのであろう。
危険なことは
避けてもう9時には
寝る。

04月23日(火曜日)
次の朝6時前に起きて
チャガルチと反対方面
釜山駅の方面に歩いていく。
スーパーマーケットを見つける。
「チョリャマトウ」と読むのだろうか?
この晩ここでパンと牛乳を
買って夕食にする。
立派なビル群だ。
地下鉄の表示、
「プチャンヨック」
駅が「ヨック」ということか。
デザインもよろしい。
中国工商銀行ビルだ。
私の側の裏手には
中国街がある。

その真向かいはこのように
道路工事が多い。
この案内板を
見ると日本語も中国語
もある。
漢字があればわかりやすい。
隣の店の名は、
「トンカス」これは黒文字。
「ムファンリピル」赤文字。
コックさんの絵があるから
食べ物屋であろうが、何の料理か
わからない。

ハングル文字では
どんな会社かわからない。
朝早くから、店主は
店の前に座っている。
この人もぶっすとしている。
個人店主は、日本もそうだけど、
厳しい経済状況にさらされて
いるのだろう。
朝の6時ではやっている
屋台はどこにもない。

すっきりとしたものだ。 どうしても食べ物に
気が向く。
寂れた店の前に
ユーホーキャッチャーがある。
「ロッキチャシック」
壁紙のようなものが
あるから内装店かも。

大邸宅と思いきや
官庁だった。
釜山建築事務所
でもいうのであろう。
中華料理店が多い端に
怪しい店がある。
「ノレタウン」タウンは
町かもしれないが、裸同然の女性の
絵があって、ノレは何の意味か?
日本語の「乗れる」と言う言葉と
関係があるのか?
ビル名は「清心ビルティ」なのでしょう。

温泉マークがあるが
連れ込みホテルではないと
ガイドブックにはあるが。
「ユリムチャ」
一歩中に入ると、
工事だらけだ。
朝早くから
おかゆを炊いている。

この奥こそ連れ込み
ホテルだろう。自動車が
入っている。
テレビドラマで
女主人公が材木屋で
働いていたのを
思い出す。
「ソチャハンパンテェリチョッム」
貧困者の住む路地は
何としても気を引いてしまう。

ビル街のなかに
このような路地がある。しかし
家の前には何か張り紙があって
都市整理で壊される
運命ではないか。
華僑のための小学校。
いかにも中国風だ。
グランドも小さい。でも
生徒はいるのだろうか。

ここも工事。その先に
中国風の門。
開店祝いの花輪だけど、
看板も使い込んでいる。
釜山の中心街だから
再開発が頻繁。前の
平屋はいじばって
いるのであろうか。

くず屋も朝早くから
活動している。
ペットボトルもビニール袋に
一杯だ。
韓国の和服専門店。
ちょっと言い方がおかしいが。

ガラスに光って
見にくいが、子供用の
自家用車。
東横のカウンターの人。
黄色の人が「キム・ソヨン」さん、
桃色の人が「リー・キョンフン」さん。
日本語もできる。
黄色と桃色の服には
何か違いがあるのだろうか?

散歩から返って、
東横のただの食事。
友の食事。
私はこの頃から街でも、
市場でも、食べ物屋でも
韓国の匂いが
鼻について、オヘッとなりそう。
パンを食う。
街で若い女性に声を
かけられないので、
テレビのキャスターで我慢する。
テレビに出るアナウンサーは
ある面韓国では
エリートといわれよう。

これは芸能界紹介の
お姉さんかも。
韓国では一流企業に入れるのは
大学卒で5%しかいないそうです。
その他は非正規雇用で、
月収88万ウォン。
お天気お姉さん。これらの
お姉さんはきれいだけど、
整形したのだろうか。韓国では
大学を卒業しても半分も
就職できないというデーターがある。
大卒と同時に美人でないと
テレビ局に就職できないだろう。
食事した後、ホテルを出るが、
雨が降り出した。コンビニで
傘を買う。そこのお姉さん。
このお姉さんも日本と同じように
非正規雇用なのでしょう。

ここが40階段。朝鮮戦争で
南北の離散家族が
ここで情報を交わしたと、
いうところ。
この階段の前に懐かしい
ポン菓子の作る器械と人の
銅像がある。
この傘は2500ウォンした。

友の写真の撮り方は
何か不安定だ。
この階段の中ごろに。
アコーディオンは
離れ離れになった人たちの
心を慰めたのであろう。
そこらじゅうが
工事だらけ。

近代歴史博物館かと思ったが、
警察署だった。
近代歴史博物館のなかで
20分間映画が流される。
日本帝国主義の子孫たちに
反省を促すために。
2階に上がる。

釜山の歴史の俯瞰図。 小さな漁港に過ぎなかった
釜山が日本によって
開発されていく。
居留地を作り、
ちょうど欧米が
日本でやったことを
真似している。

釜山港を埋め立てして、
大きな船が泊められるようにと。
その設計図。
領事館を建設したり、 日本人街もできていく。

苦悩する朝鮮人。 日本の官庁か会社の建物。 朝鮮人労働者のストライキを
報じる新聞。

日本が漁業も海運も
支配していく。
香椎源太郎は朝鮮の
水産王といわれた
と書いています。
朝鮮も日本でいう
「講」を作ってお金を
融通しあった。
朝鮮語でそれを「契」という。

1920年
金融恐慌で統廃合。
朝鮮でも徴兵が
実施された。
「慰安婦」とか「強制労働」とかの
言葉がパネル上に記述してある。

キリンビールの
看板もある。
日本人による
土地の収奪。
日本人街の
拡大。


釜山港の京釜鉄道、
釜関連絡線の会社のビル。
展示物の解説には、
韓国語、中国語、日本語
と三種類併記している。
埠頭に連絡船が着いた。

日本海運の隆盛。 釜山全市の模型。 パネルの知りたいところを
押すと模型の家の中の豆電球が
ついてその場所が
わかるようになっている。

この山に今は釜山タワーが
建っている。
鉄道の終着点だから
その関連の建物だろう。
税関かも知れぬ。

上水道、病院、
近代的な橋。
日本人が自らの
利便性のために作ると。
釜山大橋。 この当時から新幹線の
構想があったのだ。

日本の皇族に叙せられた
朝鮮最後の王。
変わり行く釜山。 東菜の変わりよう。もともと
東菜のほうが大きな町で
釜山は小さな漁港に
過ぎなかった。

東菜は日本人の
遊興地に。温泉が出るので。
同じ場所が、 電車が通ったりして。

今はこのような状態です。 東洋拓殖株式会社は
日本の貧窮者の朝鮮への
移住を勧める。
日本から来た
「貧窮者」たち。

日本式の農業。 博物館の中で、
日本の家屋を縮小して
再現している。
中にクリーニングした
服まであって、芸がこまかい。

菓子屋も鳴門巻きあり、
デコレーションケーキもある。
明治屋は足袋も
売っていたのか。
クラブ化粧品は
今日もあるのではないか。
加藤清正よりも恐ろしい
憲兵隊。

近代歴史博物館はもともと
東洋拓殖株式会社が
あったところ。
日本人の事務員と
朝鮮人農民か商人を
対比的に描いている。
どこの会社のマークか?

電車の終点地。 日帝が建てた洋式の建物。 日本人が建てた商店。

ラジオ。 蓄音機。 ビクターレコードの
マークがあった。

これらを模した縮小家屋が
博物館の3階に展示してある。
化粧水の瓶。 てんかふ、か?

煎餅が入っていた
ブリキの缶。
石鹸箱。セルロイドで
つくっているのかな?
懐かしのマッチ箱。

タバコの値段表。
敷島、朝日という銘柄もある。
これも縮小建物がある。 もちろん日本酒であろう。

今のソウルと釜山を結ぶ
京釜線。
市内電車。 今の携帯と比べると
莫大大きい電話機。

カメラ。 菓子屋の前に立つ。 電車の出発点に立つ。

この人親切にも、行過ぎた
古本屋街まで、一緒に歩いて
連れて行ってくれる。何か
研磨していた仕事を
なげうって。
トシのかたでこういう人は
韓国人に多い。本当に
ありがとう。
古本屋の店主。コーヒーを
ご馳走してくれたので
ドラマ「風の絵師」にあったような
美術書を1000ウォンで
買う。
朝10時過ぎても
ほとんどの店は閉まっている。

別の古本屋の入り口。 古本屋の象徴の
銅像がある。
また昨日入った市場へ行く。

お好み焼きもある。 イモをふかしているのだろうか。
おっさんは笑わない。もうちょっと
愛想がよかったら
買っただろうに。考えようによっては
かつて日本帝国主義がこの地の
人々を抑圧したように、今は現代、サムソン
ロッテといった巨大企業がそのかわりをしていると
いえないこともない。これらの企業は
海外では安売りし、自国では高く価格を
設定しています。土産にロッテチョコレート
農協スーパーで買ったのだが一枚990ウォン。
日本のスーパーで買うと、一枚、安いところでは
78円くらいで売っている。
この個人店主も厳しい経済状態かもしれません。
大きな太刀魚だ。

昨日「クンチプ」で食べた
てんぷらの魚はこれだ。
いやらしいあわびだ。 店の前に出している。
閉店時は中にしまうのか?
それにしても大変だ。

国際市場地下商店街
の端の、上がったところの銀行。
両替。
ここでは1万円が
112120ウォン。
独り言を言っている
浮浪者。
チャガルチ市場に行く。

グロテスクななまこ。 愛想のいいお母さん。
でも何も買わない。
休んでいるところもある。

今日は荷があまり
入らなかったのかな。
芸術的な蛸の
並べ方。
アンコウもきれいに
どぶと肝を抜かれて。

ねずみもお出まし。 このねずみは
恐れることを知らない。
それか飼っているのかも
知れない。

餌をやっているのかな。
ビルの中のチャガルチ市場は
火曜日全館休みで3階の
海鮮料理店も休み。
昨日の焼肉やで
この貝を出された。
仕方ないので、昼食はチャガルチ
駅近くの「サネパプ」へ行く。
友が日本にいるときから
ガイドブックを見て、ご推奨の店。

調理室では二人。
娘のお父さんお母さんかも?
遠慮なく写真を撮る。 メニュー。二人で
約10000ウォン。

多くの小皿。
私は肉どんぶりを
食べたのだが
何か違う。小皿のものも
糸こんにゃくとサラダを
少しつついただけ。
姉妹かも知れぬ。 この店の入り口。
2階でやっています。

農協のスーパーマーケット。 ポップコーンだろう。 韓国のコンニャク。
「サネパプ」のキムチの中に
コンニャクも入っていた。

黄色いのは何の果物
だろうか。
きれいな店内。ここでお土産を
買う。インスタントラーメン、
チョコレート、のり、しめて
友のを含めて、約56000ウォン。
ガードマンのような、
店長のような。

雨が降るので地下街を歩く。 火曜日の夜は、
釜山駅の近くの
スーパーへ行って、パンと
牛乳ですます。
韓国料理の匂いが鼻について
もう韓国料理は食えない。
8時にはさっさと寝る。
友は夜の街に出る。帰ってきて
友の言うのに、韓国のサラリーマンも
鬱憤がたまっているようだと。
04月24日(水曜日)
次の朝4時半に目が覚め、
暗いうちから一人で、
散歩に出る。誰もいない
地下街に入る。恐ろしい気もするが
私と同じように韓国でも
徘徊老人がいるであろう。

本当に誰もいなかった。 歩いていると、男に出会う。
悪そうではない。
地下鉄券の買い方を教えて
貰おうと思ったが、歩いていっても
近いということで、ついて来なさいと
言われて、チャガルチの場所は
知っているのだが、ついていく。
この人も親切な人だ。
前日は閉まっていた、
ビルの中の
チャガルチ市場に入った。

アンコウの肝とどぶを
手際よく取っている。
この赤い奴は何なのだろう。 ビルを出て、
もっとも海に近い場所に行く。

大きなひらめだ。 しごうされたアンコウ。
こちらは肝をつけている。
新鮮なのだろう。
漁船も見える。だいぶん
空も明るくなった。

ぼらが跳ねている。 右手の一番近いおっさんは
朝鮮将棋をしていた。
一仕事すんだ
後かも知れぬ。
今日の3時には船着場に
集合しないといけない。
チェックアウトは10時で、
荷物はホテルで預かってもらい
遅くても午後1時頃には
ホテルに戻らねばならぬ。

地下鉄に乗る。
チャガルチ駅で、
ペンダントみたいなものを
5000ウォンで買わされ、
そのペンダントに10000ウォン
チャージした。
これを買うにも道行く人に聞き、
その人が駅員がいる場所まで
連れて行ってくれて、やっと問題が
解決した。
凡一洞に行く。
チャガルチ駅から
7番目の駅だ。
ガイドブックでは、
映画「チイグ」のロケ地に
なっているという。
凡一洞駅に降りて、路地に入って
行くと、早くから食べ物屋が
店をひらいている。
もやしなんかがいっぱい入って、
何の料理なのか?

駅の案内図で南門市場が
あるというので、来て見たら、
開いているところは
一軒だけだった。
青果市場ではないらしい。 このビルの後ろが
南門市場。

歩道橋より東方面を見る。 西方面を見る。
パトカーが止まっている。
反対の西面駅方面。

釜山方面。 地下鉄には防毒マスクも
用意されている。
本も自動販売機で
売られている。

朝飯を食いに
東横ホテルに地下鉄で戻る。
観光バスが止まっている。
中国人か日本人の
団体が来たのでしょう。
地下鉄に乗るために
これを5000ウォンで買った。
このペンダントようなものに
10000ウォンをチャージし、
これを地下鉄の改札口にかざせば
入場できる。ほかに
バスやらタクシーも
利用できるらしい。

東横ホテルの朝飯。なるべく
韓国臭のないものを
バイキングする。ところが
味噌汁をちょっと飲んだ途端、
韓国臭のもとは味噌にあったのだと
気づく。もはや味噌汁も
飲めない。
友は地下鉄に乗りたくないと
いうので、1時に、このホテルで
待ち合わせをして、おのおの
別行動をとる。私はすぐさま
地下鉄に乗り、東菜駅に行く。
朝に行った、凡一洞駅より9駅先。
東菜市場があるというので、
歩いていく。
地下鉄は
ここでは高架橋を走る。

学校なのか。それにしても
生徒が騒ぐ声が
しない。
一人くらい生徒がいても
おかしくないのに。
これで小学校とわかる。
でも生徒の声は聞こえない。
今日は休みなのか?

川に出る。 川幅はそんなにないが、
市民が両岸を散歩している。
公園もあり

お年寄りが
ストレッチをしている。
大きな鳥もいる。 私のカメラのシャッター音で
逃げる。

魚は見つけられない。 マンションもニョキニョキ
建っている。
向こうも
マンション群であろう。

とうとう道に迷った。この人に
尋ねると、東菜市場まで
連れて行ってもらった。およそ
2キロくらいは歩いたか。
「金」さんありがとう。
新しいメガスーパーと
昔のままの東菜市場とが
あるそうです。
東菜市場の周り。

各種のキムチ。 サムゲタン用か。 ぐるっと回る。

市場の前に
古めかしいものがある。
墓なのか。 宗象賢はどのようなことで
忠義であったのか?
検索しますと、
文禄の役(1592年)で、小西行長の
進軍で、唯一東菜に踏みとどまって、
対峙した文官。
行長の降伏勧告に対して、
このような名言を吐く。
「戦死易仮道難」

このオバサンは6歳まで
名古屋にいたそうです。
私が日本人だと知ると
大喜びしてハグしてくれました。
すっぽん。 これもすっぽんか?

どじょうだろう。 ビルの中に入る。夜には人が
多いのであろうか?
やはりこのような古びた市場は
衰退しているのか?
まだお客さんは
少ない。

小学生が
見学に来ている。
アナゴだ。 夫婦仲良く
商売している。

調味料屋。 肉屋の前に衣料品屋。 味噌を入れる壷だろう。

漆器をいちいち並べていた。 この警官に東菜駅に行く
道順をきこうとしたが、
日本語がわからず、
本庁に連絡する。
日本語ができる係官が出てきて
話すが、なかなか通じない。
係官から発音が悪いですねと
言われた。日本語の発音が悪いのか。
仕方なく英語でサブウェイ・ステーション
と言ったら
通じたようだ。
蒸しパン。

近くまで来ているのだろうに
あの特徴ある黄色の駅が
見当たらない。学生に聞くと
ついて来いということで、
すぐに駅が見つかった。
韓国のイケメン男だ。
駅の立ち食い
オデン屋。
地下鉄一号線はすべて
茶色で列車が
塗りこまれているのかと
思っていたけど、一本のラインだけだ。

東菜駅で女学生に
撮ってもらった。
東菜駅から西面駅に行く。 乗り換え表示に

このような掲示があり、
一瞬徳川家康も
この地に入ったのかと
思った。
西面駅のすぐ近くには
工具屋、チェーン屋が多い。
動く人形。器用にトンカチを
扱っている。
百貨店だがお客はいない。
日本でもデパートは衰退気味だが
韓国も同じなのであろう。

いるのは店員だけだ。 誰もいない。 一階のロッテリアに入って
早めの昼飯を食う。

一番簡素なものを注文する
4000ウォン。
ここの従業員。 じっさんが騒いでいて、
警官が呼ばれる。ロッテリアから
追い出される。

このじっさん、警官にも
悪態をついていた。
酒でも
飲んでいたのでしょう。
ロッテリアから遠ざかる
までパトカーは居続けました。

バイクは何台もあるが
配達員は男の子一人
しかいなかった。
夕方からいそがしくなるのかも?
閑散とした百貨店の概観。 ディシティという名。

ワイヤーやら電線類
の店。
日本風。焼き鳥居酒屋と
書いてある。看板の人物も
日本人らしく女房らしき
女性はアサヒビールの壜を
抱えている。
暖簾のハングル文字を
表で調べたら、
「ぺこぺこ」と読める。

日本の牛丼屋を
真似たような店。
店の名前が「トンモン」と
いうのでしょうか?
看板に日本語で
さいこうきゅうの
豚肉専門店と
書いています。
圧搾機器や工事用モーター。 こちらは配管。

何の店かわからない。 西面駅の表通り。 近代的なビルが建つ。

地下鉄に乗って
釜山鎮駅に降り立つ。
案内に水晶市場があると
書いている。
それらしき入り口。 昼飯時なので人が
多くいそうだ。

ぶどうのおっちゃんは
日にこれだけ売れば
商売になるのだろうか?
韓国では自営業者が
多いと聞くが、卵売りの
おっちゃんも自営業者の
一人として勘定されているので
あろう。
こいわしをさいている。

よくわからない品物だ。 豚の皮を洗っている。 釜山鎮駅の案内板。

やっと中央洞駅に戻り、
待ち合わせの東横ホテルに行く。
途中対面に消防署が
あったのに気づく。
ホテルから出て、船着場に行くのに、
友はこっちだと言い、
私は違うように思ったが、
間違いないというので、ついていったが
間違いだった。重たい荷物を抱え
遠回りをした。友は方向音痴だとも
わかった。
船着場から見た東横ホテル。
わが友は午前中釜山タワーの
公園で朝鮮将棋を
見ていて、昼飯も、釜山に到着した
最初の日に行った店で
同じものを食べたそうです。
私と違って彼は公園で
定点観測をし、韓国の
何かを得たようです。
船着場の二階。

土産物屋で買う人は
あまりいない。
燃料付加運賃24000ウォン、
ターミナル利用など3200ウォン
などを払う。
私はこの三日間で
歩き回り、ふくらはぎが
パンパンにはって痛い。
この期間中安倍総理が
靖国に参拝しているところを
韓国のテレビが流していた。
東菜駅で女学生に地図を示して
漢字の駅名を指差して聞いたのだが、
わからないと言う。ハングル文字だけで
漢字など習っていないのだ。
歴史なども漢字を習っていないと
昔の文献など読めやしない。
これでは「正しい歴史認識」ができるかどうか
疑問だ。

疲れきった顔。 10万円持っていって、
残が3万4千あった。交通費と
宿泊代とで4万円ほどで、財布には
まだ5万7千ウォンも残っているので、
個人的に使ったのは2万6千円。
税関を通り抜け、
あとは船に乗るだけ。

若い日本人女性客も多い。
ニセブランドのことを
話していたので、そういうものを
ショッピングしたのでしょう。
大きなキャリヤーバックを
それぞれもっている。
いよいよ釜山を離れる。
やはり船は2階席をとる。

釜山大橋。 釜山沿岸旅客船
ターミナル。
近代歴史博物館では
釜山大橋(現在では影島大橋と
呼ばれている=1934年竣工)
が当時「近代都市釜山のシンボル」
と書かれてあった。現在では
この大橋が韓国躍進の象徴に
なっているのでしょう。

何のビルなのか。アンテナが
たくさんあるから海上保安庁
ようなものか。
やっと日本が
見えてきた。
広島駅の前で。
広島の静かさに驚きを
感じる。